Fleur de Noir

日々の思いの丈、フィギュアスケート、映画、本、TV、もろもろ。

【書評】うちのお父さんがキモくない理由を考えてみた。

中山順司著、『お父さんがキモい理由を説明するね』、リンダブックス、2014年 を読んだ。

お父さんがキモい理由を説明するね―父と娘がガチでトークしました (Linda BOOKS!)

お父さんがキモい理由を説明するね―父と娘がガチでトークしました (Linda BOOKS!)

 

を読んだ。 
世の中のほとんどの女性は、主に思春期の頃、父親のことを「キモい」と思った時期があるらしい。 
“らしい”というのは、TVや友人からはよく聞くが、 私自身は自分の父親のことを「キモい」と思ったことがないのでよく分からないのだ。 

かと言ってうちの父親が、お洒落でダンディで、 友達に「幸ちゃんのお父さんてカッコいいよね!」と言われるような自慢の父親だったかというとそんなことは全くなく、 年相応にお腹が出ていたし、 お風呂上りにパンツ一丁で家の中をウロウロしていたし、 稼ぎが悪いくせに大して働かないし、なのにほとんど家事もしないし、 所謂“飲む・打つ・買う”で言うと、打つと買うはなかったけど、飲むのは凄かったし、 毎日ハイライト2箱を吸うヘビースモーカーだった。 
世間一般の基準に照らし合わせれば、“ダメ親父”の部類に入るんじゃないかと、我が父ながら思う。 
この本の娘さんが言っているように 「娘が好きすぎるあまり、娘に媚を売ったりベタベタしようとしたりする」ことはなかったけど、 威厳のある父親像というよりは愛情ダダ漏れタイプだったように思う。 
しかし私は父のことが大好きだったし、尊敬もしていた。 
それは何故なのか、この本を読んで改めて考えてみた。 

一つはやはり母親の言動が大きいと思う。 
うちの母親は心の中では「とんでもない人と結婚してしまった」と思っていたかも知れないが、 少なくとも娘の前では父の悪口を言わなかった。 
それどころか一家の大黒柱として、日々の生活の様々な場面(例えば食事を出す順番とか)で父親を家族の中で一番“格上”として扱っていた。 
(よくドラマなどで母親が娘に「お父さんみたいな人と結婚しちゃダメよ」、 息子に「お父さんみたいな大人になっちゃダメよ」と言っているシーンがあるけど、 あれは本当にやっちゃいけないことだと思う。) 
自分が結婚してみて改めて「よくあの父と結婚して円満に夫婦生活が送れたものだな……」と、我が母ながら感心してしまう。 

理由二つ目。 
これがかなり大きいと思うのだけど、我が家ではこの本に収録されているような“割と重めのテーマでの父娘の会話”は日常的に行われていた、ということ。 
父は飲むと饒舌になるタイプで、私に時間がある時はいつも、父の晩酌に付き合って色々な話をしてきた。 
(念のため書くけど、私はお茶しか飲んでない。正月以外に家で飲むようになったのは結婚してから。) 
だから、父がどんな学生時代を送ってきたか、どんな恋愛観・結婚観を持っていたか、 早くに父を亡くした割には、同年代の女性に比べて聞いている方だと思う。 
(むしろ母の話の方が聞いていないくらい。) 

そんな私にも人並みに反抗期はあった。 
私にとって反抗期とは、親が神から人間に変わった瞬間であった。 
少なくとも小さな子供にとって親は神と同義だと思う。 
食べ物を用意してくれ、快適な住居を与えてくれ、あたたかい服を着せてくれて、一人では生きられない自分を生かしてくれる存在。 
親が黒だと言えば白いものも黒くなる。 
しかし成長するにつれ、先生や友人、テレビや本など、親以外の情報源からも知識を得るようになる。 
時には他の大人の言っていることと親の意見が異なることもあり、 小さな頭でどう考えても親の方が間違っていると思われることも出てくる。 
私は何よりそれがショックだった。 
それまで自分にとって絶対神であった親が、間違えることもある普通の人間だったことに気付いてしまったその瞬間! 
私はその間違っていると思った内容を、いつもの晩酌の時に普通に話した。 
しかし、父は私の意見を頭ごなしに否定することなく、一人の人間として対等に話を聞いてくれ、 ある時は「お前はそう考えるのか」と納得してくれ、 ある時は「お父さんはそうは思わない。何故なら……」と理由を説明してくれた。 
結果、私の反抗期は暖簾に腕押し状態になり、 親を無視したり、怒鳴ったり、わざと反抗的な態度を取ったり、家出したりする理由は皆無だった。 
神から人間になった父は(多分父の中では何も変わっていないのだけど)、 毎晩のようにうんちくを垂れるただの酔っ払いになったが、 そこから少しずつ自立した人間同士として、対等に向き合えるようになった、気がする。

多分、私の育った家はかなり特殊な家庭環境だったと思う。 
父は一度も就職せず、自由にやりたいことだけやって、そして死んでしまった。 
私は、父から「自由に生きることはいかに難しいか」を学んだ。 
何より家族が迷惑する。 
しかし私は決して“不幸な子供”ではなかったし、「苦労と不幸は別物である」ことも同時に学んだ。 
そう思わせたのは、やはり母の功績なのかなあ、と結局また堂々巡りなのだけど。 
少なくともうちの母以外の女性が父の妻になっていたら、 (その場合私は生まれていないけどその矛盾はとりあえず横に置いて)私が小学生くらいの時に離婚していてもおかしくない。 
そういう意味で母は、父以上に私の男性観に多大な影響を及ぼしていると思う。