【書評】[完全版]下山事件 最後の証言
下山事件というものを初めて知り、興味を持ったのは高校2年生の時だった。
国語の授業で安部公房の『赤い繭』を習った。
『赤い繭』というのは、非常に謎に満ちた寓話で、それをどう読み解くか、という解釈で「下山事件」が登場した。
「下山事件」
師曰く。
安部公房は“アカ”だった。
そして当時、GHQ傘下にあった敗戦後の日本で起こった下山事件。
国鉄総裁である下山定則氏が、出勤途中に失踪し(誘拐され?)、翌日未明に轢死体となって発見された事件である。
自他殺論争が交わされる中、事件の真犯人として挙げられた中に“アカ”、つまり共産党組員がいた。
経費削減のための大量解雇を強いられていた下山氏は、事件の前日に解雇者名簿を発表しており、国鉄勤務の共産党員がこれに反発して起こした事件だったのではないか、という説。
一方アメリカ、及びGHQは、ソ連、中国、北朝鮮と共産主義勢力が台頭する中で、日本を極東における反共の防波堤にすべく画策していた。
そして下山事件以降、日本の共産党勢力は求心力を失い、右派が台頭していく。
安部公房は、下山事件の犯人は共産党員ではないというメッセージ、そしてレッド・パージ吹きすさぶ中でGHQ、そして日本政府へのアンチテーゼをこの寓話にこめたのではないか……。
というのが、“作家論”で読み解く『赤い繭』の解釈として提示された。*1
その時はそこで終わったのだが、「下山事件」という戦後日本の大事件は私の心に深く残っていた。
そして約9年前、この本の刊行当時、本屋で平積みになっていたのを発見した。
当時の私は仕事で多忙を極め、とてもこのような頭を使う本を読む余裕はなかった。
今回、ずっと私の心の本棚にしまわれていたこの本にようやく手を付けるに至ったのである。
著者・柴田哲孝氏の優位性
下山事件に関する本を読むのは初めてだったが、この事件を追っている他の多くのジャーナリストと比べても筆者の優位性が極めて高いことは、読み始めて早々に明かされる。
下山事件に深く関与していたとされる“亜細亜産業”という貿易会社があったが、彼の祖父がそこの幹部社員だった。
更に彼の大叔母も亜細亜産業で事務員として働いており、その夫もまた深く関わっていた。
母親の記憶の中の家族の出来事も事件を読み解く重要なヒントになる。
一次史料となる同時代人の証言が親族から大量に得られるアドバンテージは大きい。
そして何と言っても、憧れの祖父の思い出、祖父のルーツと強烈に結びついた取材の過程は、まるで小説を読んでいるような郷愁を感じさせる。
残念だったのは、肝心なところがぼかされているところだ。
いや、よく読みこめば真犯人が誰かは読み取れる。
作品中に何度も登場し、「あの時〇〇したあの人物だ」という記述もあるが、膨大な文字量で分厚い文庫本の前のページを手繰って、その箇所を探し当てるエネルギーはもはや私にはなかった……。
そもそも登場人物の数が半端ないのである。
昭和史への興味
更に戦後史は世界史も日本史も複雑で、たった数十年前の出来事ということもあり余り“歴史”という感覚がなく、中高生の頃から現代史は苦手だった。
だが今や「昭和は遠くなりにけり」。
昭和が終わって30年が経ち、平成も終わろうかという近年になって、そろそろ昭和が自分の中で歴史になってきた。
特に戦中、そして戦後のGHQ傘下の頃から60年代くらいまでの大混乱期。
混沌としているからこそ歴史は面白い。
一方で今30代後半の私は、ソ連崩壊や湾岸戦争など、戦後史の大きな転換点をギリギリ、リアルタイムで記憶している。
そろそろ自分にとって未知の領域である、明治後期~大正・昭和、そして戦後史に手を出してみようか……と、そんなことを思いながら本を閉じた。