Fleur de Noir

日々の思いの丈、フィギュアスケート、映画、本、TV、もろもろ。

ザギトワのフリーは本当に“芸術的ではない”のか?

オリンピックは全部見ていたが、記事を書く時間が全くなく、今シーズンももはや終盤戦。

オリンピックの感想と今季のまとめを兼ねて、種目別に書こうと思う。

思っているが、予定は未定であり決定ではない……。

 

さて、今季女子シングルの話題といえば、

だろう。

平昌五輪女子シングルは、稀にみる激戦だった。

とにかくロシアが無双すぎる。

ソチまで女子シングルでの金メダルが0だったとか、嘘だろ、おい……という感じである。

しかし、トップクラスの選手の数が多く、とにかく競争が過酷なため、総じて短命である。

あれだけ期待され、一時は奇蹟の復活を果たしたかに見えたタクタミも、4年前は年齢制限で泣く泣く母国開催の五輪を逃したラジコも、平昌代表争いの俎上にも載れなかった。

ソチで活躍したリプ、4年前の金メダリストのソトニコワも引退&休養。

女子SPでのコストナーのPB更新を受けて、「息の長い選手を育てるべき」という記事が出ていたが、コストナーが31歳の今も世界のTOP6に入れるのは国内に敵がいないというのも大きい(彼女の場合は3年間の休養(謹慎)の影響も計り知れないが)。

 

歴20年を超えるスケオタとしては、ここ2年ロシアのみならず世界の女子シングルを率いてきたメドベに金メダルを獲って欲しかった。

しかし、金メダルに輝いたのは今季シニアデビューしたザギトワだった。

 

ザギトワのフリープログラムは、ジャンプ7つを全て後半に入れるという驚異の構成。

ジュニアラストイヤーからの持ち越しで、昨年彼女が世界ジュニアで優勝した時も、今季のGPSを席巻した時も、「凄い」という声こそあれ批難する声は聞かれなかった。

思うに、この構成がフィギュア関係者から明確な批判の対象となったのは、ザギトワがメドベに勝ってから……つまり欧州選手権以後である。

  • 後半にジャンプを詰め込み、前半はスカスカで後半がカオス
  • 芸術性が未熟な分をジャンプでカバー

技術力もさることながら、高い芸術性も持ち合わせていると言われてきたメドベを上回ったためにこのような意見が出てきたのではないだろうか。

 

私はこの問題に関しては、完全にザギトワ擁護派である。

そもそも、SPでは3つのジャンプを全て後半に入れる戦法はかなり前から複数の選手が取り入れており、フリーでやると何故批判の対象になるのか、私にはよく分からない。

 

「前半がスカスカ」と言っている人の多くは、芸術家タイプのスケーター、またはそういうスケーターが好きな人だと思うが、芸術性の高い演技にはステップシークエンス・コレオシークエンスが重要である。

彼女は前半でもかなり複雑なステップを踏んでいる。

多くの選手がジャンプを全て跳び終えてから、最後の力を振り絞ってステップ、またはコレオを滑るが、ザギトワは体力のある前半に滑り切ってしまうので、レベルの取りこぼしも少なく、この点でも基礎点が稼げる。

そして多くの選手が後半の盛り上がりに繋げているステップを彼女はジャンプで表現しているのだ。

 

というか、あの一連のジャンプはもはやジャンプではない。

ステップだ。

そもそもジャンプ自体がステップの発展形である。

初めは半回転、1回転だったものが2回転、3回転と回転数が増えるにつれ、独立した技として磨かれていったものだと思う。

後半の7連続ジャンプは、跳ぶ前、跳んだ後の繋ぎもしっかりステップを踏み、流れが全く途切れない。

加えて、一つひとつのジャンプの着氷がしっかり音に合っているため、一歩でもリズムを外せば全てが狂うという、極めてリスクの高い振付である。

実際、世界選手権では少しの歯車の狂いから転倒3回、deduction-4がつくという、ザギトワとしては見たことがないような得点となった。

一方五輪のフリーでは、最初の3Lz-3Loが単独の3Lzになり、次の3Lzをコンボにする瞬時のリカバリーを見せたが、コンボにすることで着氷のタイミングがずれるのを、ジャンプに入るタイミングを前倒しすることで上手く調整していたのには恐れ入った。

このフリーが“芸術的ではない”というのだろうか。

彼女はズルをしたわけでもルールの隙をついたわけでもなく、「全ての要素をステップの中に組み込み、流れるように滑る」という、現行採点方式が求めるフィギュアスケートの究極の形を体現したに過ぎない。

だから周りから何を言われようと、「悔しかったらお前もやってみろよ」と堂々としていてほしい。

そしておそらく、ザギトワがこの演技構成を組めるのも長くてあと1シーズン、二次性徴期に入ればこの構成はもう無理だろう。

 

フィギュアスケート競技を見るものや多くのスケート関係者には、“技術 vs 芸術”の闘いに芸術が勝ってほしいという思いがあるように感じる。

しかし平昌五輪の女子シングルは、技術 vs 芸術の闘いは引き分けだった。

金メダルのザギトワと銀メダルのメドベのフリーの得点は全く同じ。

ザギトワの基礎点の高さにメドベはGOEとPCSで対抗し、全く互角だった。

では何がメダルの色を分けたのか?

それはSPの“構成”である。

3本のジャンプを全て後半に入れ、3Lz-Lo、3Fと、3Aを除けば女子SPでは最も難しいジャンプ構成を組んできたザギトワ

対してメドベデワは、3Lz-3Tと3Loで一段レベルが落ちる。

GOEの伸びがイマイチなのも、怪我の影響か本来のメドベの滑りではないように感じた

PCSはさすがにメドベの方が高いが1点も差はないことを考えると、SPはほぼ“技術 vs 技術”だったと言って良いだろう。

正直、メドベデワが昨季までの無双状態を保っていたら、メダルの色は変わっていただろうと思っている。

 

10年以上前、新採点方式が採用された時点で、いつかこういう時代がくると本当に誰も予想してなかったのだろうか。

“技術 vs 芸術”の闘いに芸術に勝ってほしいという想いがあるなら、なぜ技術点と芸術点が50:50ではないのか。

現行の採点方式で芸術点という扱いになっているPCSの上3つは、実は技術力に対する得点である。

仮にPCSが芸術点だとしても、満点があるPCSに対しまだまだTESは青天井で、現在男女ともにトップクラスの選手はTESがPCSの満点を超えている。

 

技術 vs 芸術の闘いで芸術を重んじるというなら、この採点方式は限界が近い。

ザギトワを批難する前に、関係者はルールの不備をもう一度よく考えてほしい。