Fleur de Noir

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【書評】戦前の日本の女子教育

 久野明子著 『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松―日本初の女子留学生』 1988、中央公論社 を読んだ。

鹿鳴館の貴婦人 大山捨松―日本初の女子留学生 (中公文庫)

鹿鳴館の貴婦人 大山捨松―日本初の女子留学生 (中公文庫)

 

これを機に明治~昭和初期にかけての日本の女子高等教育について考えてみた。
大山捨松とは、日本初の女子留学生として津田梅子らと共にアメリカに渡り、 帰国後は、華族女学校(現・学習院女子)や津田塾大学の創設を陰ながら支え、 日本の女子教育の普及に貢献した人物である。 
(と、この本を読んで初めて知った。) 

我が母校である東京女子大学は、 日本女子大学津田塾大学聖心女子大学神戸女学院大学と共に、 1948年の学制改革により、“女子大学”として早慶や明治などと並ぶ同格の“大学”(偏差値ではなく)としての地位を確立した、5つの女子大のうちの1つである。 
現行の制度化では、日本で最も古い女子大のうちの1つと言える。 

明治末期~大正期にかけて、「女子にも高等教育を」という海外の知識人や、日本の有識者のもと、相次いで女子大の前身となる塾?が創設される。 
しかしその建学の精神を見ると、5女子大それぞれの思想が見えて面白い。 

東女のHPを見ると、 

「創立当時の日本の教育制度では、女子には大学の門戸が開かれていませんでしたが、本学は大学に相当する課程を設け、当初より女子に対して高度なリベラル・アーツ教育を行ってきました。」 

と書いてあり、また二代目学長の安井てつは就任の挨拶において、 

「この学校は職業教育を行わずLiberal College として一方に偏しない広い教養をさずける学校にしたい」 

と語ったらしい。 
この“職業教育を行わない”というのが、 女子大の中でも特異な、東女ならではの特色だなあ、と思う。 

在学当時、主にジェンダー論や女性学の研究に力を注いでいた湊学長などから、「設立当初から女子の高等教育を掲げてきた」とか、 「女性も男性と対等に人生を自分で選択し、キャリアを積むべき」とか言われていたが、実際にキャンパスで学んでいる立場からすると、 東女の建学の精神が、“キャリア形成”=職業婦人育成にあるとはどうしても思えなかった。 

どちらかというと、 

「良家の子女が上流階級の奥さんとして恥ずかしくない知性と教養を身につける」 

という印象が強い。 
“仕事を持つため”に学び、職業婦人として活躍するよりも、 上流階級の家庭に嫁ぎ、夫の仕事をよく理解し、助け、 例えばサロンなどに出かけた際は、殿方とも政治や経済や歴史の話を対等に語れる、 そんな女性を多く輩出していたのではないか、という気がしていた。 

その象徴たるのが“哲学科”(現・現代教養学部人文学科哲学専攻)の存在である。 
女子大で哲学科を設置してるのなんて東女くらいじゃなかろうか……と思っていた。 
(さっき調べたら、聖心とお茶にもある模様。が、明確に「哲学を学べる」ことを謳ってるのはこの3校しか見つからなかった) 
もし哲学を学んだとしても、大正~昭和初期の日本で、女性が就ける仕事などなかったであろう。 

ずっとこの建学の精神と、実際の学部・学科の設置や行われる授業にギャップを感じていたのだけど、 この本を読んだのを機に色々調べてみてようやく納得がいった次第である。 

実際問題、建学の精神とは別に、“東女の使われ方”としてはやはり、「上流階級の家庭にお嫁に行くため」に娘を学校にやる親が多かったのではないか……という気がしている。 

女性の地位向上のために女子に高等教育を授けようとする場合、主に二通りの方法がある。 

一つは、実利的な職業教育を施すことで、“職業婦人”として経済的自立を促し、 男性に頼らずとも生きていける力をつけることで、女性の社会的地位を向上させるというもの。 
私は日本女子大の出身者に知り合いがいないので実際のところは分からないが、 東女と双璧をなすように扱われることの多い本女の方が、“職業婦人育成のための大学”というイメージだ。 
他、津田塾は「女性の英語教師の育成」から始まっているし、 国立のお茶や奈良女も「女子高等師範学校」を前身としており、 これらは、女性教師=職業婦人育成のための学校と言えるだろう。 

もう一つが、直接職業には結びつかずとも、「男子学生と同じことを学ぶ」という理念である。 
当時、軍の士官学校などで職業に直結する実利的なことを学ぶ男性ももちろんいたが、東大や早慶などの男性は、必ずしも仕事に直結することを学んでいたわけではないと思う。 
男性の場合、それでも卒業後は企業に就職したり、官僚になったりと仕事に就くことはできた。 
しかし、女性が仕事を得るには、まだまだ“即戦力”となれる特殊技能が必要とされた時代で、 大学を出ても活躍の場は限られており、よき伴侶を見つけるしか生きる術がなかったのではないか、そんな気がしている。 

この二つを比較すると、「結果の平等」か「機会の平等」か、ということだと思う。 
しかし「機会の平等」が完全に法整備されるには、 80年代の男女雇用機会均等法まで待たなければならないだろう。 

前者は要するに手っ取り早い。 
当時、教職は女性が男性と対等な給金をもらえる数少ない職業であっただろうし、 頑張って卒業すれば、かなりの確率で仕事を得られたのではないだろうか。 
しかし、「特殊技能を身につけなければ仕事に就けない」という意味での女性差別は残る。 

一方後者は、男性と同等の知識・教養を身につける、という意味では平等だ。 
しかし当時の日本では、政治や経済の世界には女性への門戸は開かれておらず、 “平等に機会を与えられている”とはとても言えない。 
こちらは、「男性と同じ知識・教養・能力を持っているにも関わらず、仕事がない」という差別である。 

どちらが女性の地位向上に役立つか、また女性を対等に扱っている理念かは、意見の分かれるところだ。 
しかし私は、大学というのは男性も女性も仕事を得るためではなく、人生を豊かにするために行くものだと思っている。 
(医師や弁護士などの専門職を目指す場合は別として。) 
そういう意味では、“職業教育を行わない”という東女の理念は自分にとても合っていた。
当時はそんなこと考えてもいなかったが、直前まで「女子大はいやだ」と思っていたのに、東女にだけ魅かれたのは、母親の母校であるという以上の何かがあるのではないかと思う。