【劇評】ハックルベリーは水平線の彼方に
演劇集団キャラメルボックス
ハーフタイムシアター 60min.×2作品
『ハックルベリーにさよならを』
『水平線の歩き方』
を見に行ってきました。
1本目のハックルはまあ、ちょっと涙ぐむ程度だったのですが。
2本目の水平線で号泣。
もうね。
オープニングのイントロの時点で軽くウルッときちゃいましたよ(←ナゼ?)
どうして、少年の哀しみというのはこんなにも母性本能をくすぐるのであろうか。。。
どちらも少年が過去の自分に決着をつけて、大人の男へと脱皮する物語。
特に1本目のハックルは、中学時代に演劇部でやったことがあって、科白も聞けばほぼ全て思い出せるような状態。
しかし、昔夢中になったものを大人になってから反芻するというのは恐ろしいことです。
13歳の私には見えなかった“もう1つの物語”が見えてきました。
簡単にあらすじを説明すると……。
11歳のケンジは、両親が離婚して母親と二人暮し。
父さんとは月に1回の「面会日」にしか会えない。
ある日、面会日にいつものように父さんの家に行くと、
そこには知らない女性、カオルさんがいた。
彼女は父さんの再婚相手だった。
そして……。
という話。
そして、ケンジの心の中には2人の“ぼく”が存在する。
1人は、いつかまた父さんと母さんと3人で暮らしたいと願い、父さんの再婚に猛反対する“僕”。
もう1人は、カオルさんに淡い恋心を抱いてしまった“ボク”。
結局彼女は再婚せずに、父さんとケンジの前から去る。
10年後、“ボク”は未だにカオルさんを認めなかった“僕”を許せずにいた……。
大分話を端折った上、私的注釈をかなり加えてありますがこんなお話。
で。。。
13歳の私には、少年が初恋を経験して、そしてそれに向き合うことで大人になっていく話、としか映らなかった。
とゆーか、コドモにはそこまでしか理解できなかった。
でも大人になった今見ると、ケンジが初恋に向き合うということは、父さんと母さんが離婚したという事実=もう3人で一緒には暮らせないという事実にも、正面から向き合うということなんだなーと思えたり。
もっと言うと、11歳の少年が思春期の入り口に立つ話であると同時に、21歳の“ボク”が、過去の恋と決別して本物の大人の男になる話でもあるんだなーと。
14年の時を経て改めて気付いた次第です。
10代の頃に夢中になった色んなもの(小説とか漫画とかCDとか)を捨てられない理由って、この辺にあるのでしょうね。
とかいって、こんなに深く洞察しておきながら、号泣したのはもう1つの話なんだけど。