Fleur de Noir

日々の思いの丈、フィギュアスケート、映画、本、TV、もろもろ。

少女漫画における視点の変遷

最近ハマった漫画。

春待つ僕ら(1) (KC デザート)

元々レンタルしてたんだけど、最新刊の解禁を待ち切れず、普通に本屋で新刊で買いました、8巻。

主人公が男バス四天王とひょんなことから仲良くなるという、いわゆる逆ハーレムものなのだが、巻が進むにつれてどのキャラも立ってきて、青春群像劇の様相を呈してきた。

んで、この漫画の展開として目を引くというか、新しいな!と思ったのが、7巻の終わりでヒーロー(と思われるキャラ)が主人公に告白し、8巻のラストで当て馬(と思われる男キャラ)も主人公に告白してるということ。

物語の時間軸は、まだ1年の秋~初冬で、結構人気出たので多分卒業まで描かれるだろうことを考えると、まだ高校生活の1/3も終わっていないのに。

そもそも“少女漫画”というジャンルは、基本的に「主人公は想い人と結ばれるか」が主題なわけで、ドラマを盛り上げるために特にヒーローの心情は、少なくとも両想いになるまでは読者にも分からないようになっている。

でもこの漫画は逆で、「主人公は結局どっちが好きなの?」というところがメインの謎になっているところが新しい。

そして、8巻の最初の話では、男子4人のトークだけでほぼ1話分まるまる使っているというのも凄い。

この作品に限らないが、最近は主人公が登場しないシーンが増え、主人公の一人称というよりは三人称で描かれているような、「読者だけが全てを知っている」というパターンで描かれる少女漫画が多くなっているように思う。

私が子供の頃(90年代)の少女漫画は、9割が主人公の一人称で、一貫して主人公目線でストーリーが進んでいた。

矢沢あいはインタビューで、「モノローグは主人公のものしか入れない。他キャラの心情は科白で言わせる」と語っており、他90年代にりぼんで活躍していた吉住渉柊あおいの作品を見ても、そもそも主人公が登場しないシーンがほとんどない。

だから「他キャラの心情は科白で(主人公に)言わせる」が正しい。

しかし同じ矢沢あいでも、『Paradise Kiss』や『NANA』あたりになると、主人公が登場しないサブキャラ同士の科白の応酬というシーンがかなり増えてくる。

本編ではないけど、『NANA』ではサブキャラが主人公の番外編も多数描かれており、青春群像劇的な要素が強い。

90年代~2000年代にかけて描き方の流行が変わってきているのだと思うけど、そのトレンドを敏感にキャッチして作品に反映させているところは、矢沢あいさすが!というか。

一方、もっと前の少女漫画だと、三人称視点だったりする。

私はそれほど多く読んでいるわけではないけど、

とか

とかは、主人公以外の心情もよく描かれてる。

というかベルばらは、序盤はアントワネットがヒロインだけど、中盤から後半にかけてはオスカルとアントワネットのダブルヒロインだから、ちょっと違うのかも知れないけど。

こうして見ると、大体20年周期でピークが入れ替わっていて、今は三人称・青春群像劇型のどピーク、という感じだから、5年くらいしたら大分変っているかも。

ちなみに個人的な好みの話をすると、主人公がメンズに迫られる(でも本心は分からない)シチュより、メンズの気持ちダダ漏れ(でも主人公は気づいてない)という状況の方が萌えるので、今のトレンドは大歓迎です!

君に届け』とかも、両想いになる前の風早君とか、超萌えました!!

子供の頃夢中になって読んだ、矢沢あい吉住渉も名作だと思うけど、萌えるかっていうと萌えないんだよな~。

キュンキュンしないのだよ、泣けるけど。

でも、吉住さんが今連載してる『ママレード・ボーイ little』は萌える!

だからやっぱりトレンドなんだろうなあ。。。

 

Paradise Kiss 1 (集英社文庫 や 32-20)

Paradise Kiss 1 (集英社文庫 や 32-20)

 

NANA』の続きが読める日はくるんだろうか……。

NANA (1)

NANA (1)

 

ついに最終回を迎えましたね!約11年……長いです。

君に届け (1) (マーガレットコミックス)

君に届け (1) (マーガレットコミックス)

 

原典の『ママレード・ボーイ』を読んでから読むことをお勧めします!