Fleur de Noir

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エフゲニー・プルシェンコ引退に寄せて

ロシアのエフゲニー・プルシェンコが現役引退を表明した。

時は世界選手権真っ只中。

日本女子は3枠獲れるかどうかの正念場、男子も各国の4回転スケーターが熾烈な争いを繰り広げており、多くのスケオタが「今それどころじゃないから!」と華麗にスルーしていた(笑)。

何故彼がこのタイミングで発表したのか分からない。

目立ちたいのならもっとフィギュア界が静かな時期に発表するはずで、次々とフィギュア関連の記事が更新されるタイミングでひっそりと引退したかったのかもしれない。

世界選手権も落ち着いたタイミングで、改めて彼の偉業を振り返ってみたい。

 

プルシェンコのことはシニアデビューから知っている。

当時、私の中での彼のイメージは、絵画の「笛を吹く少年」。

羽生が髪型を真似していたという謎のおかっぱ頭、時代錯誤なビラビラの衣装。

ジャンプばっかりやたら凄いけど演技どうなの?

男子なのにビールマン・スピンてきもい!(今でこそ珍しくないが、当時はプルくらいしかやっていなかった。)

という感じで、あまり好きな選手ではなかった。

 

その後、ソルトレークシティー五輪で日本でも空前の“ヤグプル・ブーム”。

そんな状態だったので、私は当然ヤグディン派である。

しかし、実際にオリンピックでプルシェンコの演技を見たら圧倒された。

当時プルシェンコは18歳。

少年は青年になりつつあり、大分違う印象を受けたのを覚えている。

 

トリノ五輪ではついに金メダルを獲得する。

金を獲ったのであまり気づかれていないが、実はプルシェンコのピークはソルトレークシティ後の2シーズン。

この時期には、今の“真4回転時代”ですら、まだ誰も決めていない4-3-3のコンボを跳んでいた。

しかし、五輪前年の世界選手権を怪我で途中棄権。

トリノ五輪には何とか間に合わせたが、トリノのフリーを見た後の私の感想は、

 ソルトレークシティの時の方がすごかったなあ」

というものだった。

しかし、もともと無双状態の人は多少落ちても勝つものである。

2013年世界選手権でのパトリック・チャンが既に下り坂に差し掛かっていたのに、何とか金メダルに踏みとどまったように。

 

スポーツ選手には2種類の人間がいる。

栄華を極め、競技人生のどピークか、ちょっと落ち始めたくらいで引退してしまう選手と、ボロボロになるまで続ける選手だ。

プルシェンコは本当は前者のタイプだと、今でも私は思っている。

しかしトリノ以後、引退が頭をよぎった時、彼は思ったのではないか。

「今、俺が抜けたらロシア男子やばくね?」

実際、トリノバンクーバーともに二番手で出場しているロシア男子のことは記憶にない。

トリノに出場していたイリヤ・クリムキンなどは、今や“クリムキン・イーグル”の生みの親としての方が有名である。

プルシェンコの同世代にはメンショフが、少し下にボロノフがいるが、彼らは二人とも遅咲きで、頭角を現すのはバンクーバー以降。

結果、プルシェンコバンクーバー五輪にも出場し、銀メダルを獲得する。

 

この時起こったのが、あの有名な「4回転論争」である。

そもそも2008年の世界選手権で12年ぶりに4回転なしでの世界王者誕生となり、大きく物議をかもした。

当時はまだ4回転に懐疑的なスケーターが多く、パトリック・チャンも4回転不要派だったらしい。

バンクーバーでも4回転なしで完璧な演技を魅せたライザチェックが金メダルとなり、4回転に挑んだプルシェンコと高橋はそれぞれ銀・銅メダル。

しかし、「男子のフィギュアスケートには4回転が必要」というプルシェンコの主張はともかく、バンクーバー五輪男子フィギュアでのメダルの色に限って言えば、私はライザチェックに利があると思っている。

何故なら、プルシェンコバンクーバーのフリーで4回転はおろか、トリプルアクセルにすらミスがあった。

あの時、プルシェンコが全てのジャンプを完璧に決めた上であの主張をしていたのなら、私はプルシェンコを支持しただろう。

しかし、ジャンプにミスがあったのに、「4回転に挑戦しないでチャンピオンになるなんて」というのは、どう考えても言いがかりである。

 

だが、この論争がどうやら彼を頑なにしてしまったようである。

彼にとってとても不幸だったのは、「後継者がいない」ことだった。

ロシア国内の後輩たちはオリンピックの枠取りすら危うい状況で、世界を見渡しても彼の目指すフィギュアスケートを体現してくれる選手は見当たらない。

ソチのプレ・シーズン、ロシアは枠取りに失敗して、開催国での五輪の枠を1枠にしてしまう。

このままでは、男子シングルどころか団体戦でのメダルも危うい。

プルシェンコが現役復帰を強行したのは無理もないだろう。

 

ところがそのソチで、ようやく彼の後継者たる人材が現れた。

羽生結弦である。

あの日、ソチ五輪の男子シングルSPが行われたあの日。

前日の公式練習で導火線に火がついていた腰の爆弾がついに爆発。

まさかの個人戦棄権→引退表明となった。(後に復帰宣言)

そして、プルシェンコが一つの伝説に幕を引いたあの日、羽生結弦の新たな伝説が始まる。

羽生という後継者を見出したことは、プルシェンコが引退を決意する一つの理由になったであろう。

 

そして訪れた“真4回転時代”。

羽生の牽引もあって、今男子フィギュアはプルシェンコが長らく求めていた方向に向かっている。

この新しい時代を目の当たりにして、「自分の役目は終わった」と心底思えたことも、怪我との闘いだった現役生活にピリオドを打つ後押しをしたことだろう。