Fleur de Noir

日々の思いの丈、フィギュアスケート、映画、本、TV、もろもろ。

日本女子フィギュアスケート界の陰の功労者

長年、日本女子フィギュア界を支えてきた村主章枝が引退を表明した。

バンクーバー五輪の出場を逃してからは成績が振るわず、ここ4年間は全日本選手権にも出場できていなかった。

世界大会での成績は、03年のNHK杯とGPFで金メダルを獲った以外に優勝がなく、華々しいキャリアではないが彼女が日本フィギュアの発展にもたらした影響は非常に大きい。

 

一つには、「氷上のアクトレス」とも呼ばれた、演技力重視のポリシー。

伊藤みどりの活躍でジャンプ重視だった日本のフィギュア界においては、当時“異端”であったと思う。

逆に言えば、フィギュア後進国の日本にとっては、ジャンプの習得の方が演技力を磨くよりも分かりやすく容易だったのだろう。

ジャンプを跳ぶには体の線が細すぎて怪我に悩まされたが、プログラムではいつも楽しませてくれた。

 

しかし、それ以上に、村主章枝が本当に日本女子フィギュアの道を切り拓いてきたのは、長野五輪の頃からバンクーバー五輪まで10年以上の長きにわたって、まだ真央ちゃんやミキティといったアイドルスケーターが出てくる前、ライバルが休んだり引退したり調子を落としたりする中で、一人で、毎年安定した成績を残しつつ頑張ってきたことである。※1

長野五輪では1枠だった日本女子の出場枠だが、ソルトレークシティ前年の世界選手権で7位に入り、自力で五輪の枠を2つに増やした。

ソルトレークシティでは5位。

そして、五輪後の世界選手権で3位に入り、恩田美栄の5位と合わせて、初めて日本女子の枠が“3枠”になる。

以降4年間、荒川静香が優勝した2004年を除き毎年3枠獲得に貢献してきた。

今、日本女子の五輪や世界選手権での枠数が当たり前のように3枠あるのは、10年以上前に村主が道を切り拓いてくれたおかげ、と言ってもいい。

優勝こそないものの、01年~06年までの6年間、世界選手権で常に7位以内をキープ、というのは世界的に見ても好成績と言っていいだろう。

2回出場したオリンピックも5位、4位と、2回以上出場した日本女子選手の中での通算成績は、伊藤みどり浅田真央に次いで3番目だ。

だから、その彼女がバンクーバーの出場権を逃した時は、一つの時代の終わりを感じた。

その後は、成績が出ない中でも現役を続ける姿に痛々しいものすら感じていたが、引退会見で素敵な笑顔を見せてくれたので、そのためにも最後の4年間は必要だったのかな、と。

 

今後はローリー・二コルに師事し、振付師を目指すという。

荒川静香など同世代のプロスケーターたちや、羽生結弦をはじめとする若いスケーター、特に今はまだジュニアで活躍する選手たちが、何年かのちに村主章枝の振付でオリンピックで滑る姿が見られたら、こんなに嬉しいことはない。

 

※1:長野五輪では出場枠を逃し、荒川静香が出場。また、浅田真央安藤美姫をアイドルスケーターと書いたのには異論があるだろうが、ここでは当時のマスコミの扱い、という点で書いているのでご了承いただきたい。